中洲から天神、
新明治公園迄走る。

中洲川端〜天神〜    新明治公園

中洲川端から明治公園まで。
変わりゆく福岡の隙間を探す。

SAKU編集部 : Photo by Alexandre R.E

中洲川端〜天神〜    新明治公園

編集前記

街を知るには、地図を見るより少し寄り道をしたほうがいい。

大きな交差点やランドマークは、誰にでも同じ顔を見せる。でも、一本裏の路地には、その街で暮らす人たちの時間がそのまま置かれている。

今回は中洲川端商店街から中洲へ入り、天神を抜け、新しくなった明治公園まで。

華やかな街と、古い街。変わりゆく街と、変わらない街。その境目をつないでみる。

目的地は、あくまで最後。

街を見る為に、少し遠回りする。

一、

商店街は、街の「居間」。

中洲川端商店街に入る。 アーケードの下に入った瞬間、外とは音が変わる。 足音が少し響く。 店先から人の気配がする。 走るには少し狭い。 自然と速度を落として、人を避けながら進むことになる。 そのせいか、普段なら通り過ぎる店先がよく見える。 シャッター、暖簾、古い看板。 開店準備をする店の前には、まだ一日の始まる前の空気が残っている。 商店街は、街の「居間」みたいなものだと思う。 観光地ほどきれいではない。 でも、その街の生活が一番近くにある。 アーケードを抜ける頃には、身体も少し街に馴染んできた。 その後に川端商店街の長浜屋を回り、中洲へ。

商店街は、街の「居間」。

二、

中洲の昼は、        夜の余白でできている。

商店街を抜け、中洲へ。 道幅が広くなる。 さっきまで人を避けながら走っていた身体が、少し自由になる。 けれど、街は静かだ。 夜には人で埋まるであろう店の前を、そのまま通り過ぎる。 大きな看板を見上げる。 昼間の光の下では、ネオンもどこか普通の看板に見える。 夜の顔を知っているからこそ、この静けさが面白い。 路地へ少し入る。 建物の間から風が抜ける。 川が近いことを身体が先に感じる。 中洲は、目で見るだけではなく、匂いや風で分かる街なのかもしれない。 夜の街には、昼の余白がある。

中洲の昼は、        夜の余白でできている。

三、

川を越えると        街の顔つきが変わる。

中洲から天神へ向かう。 橋を渡る。 走っている身体に、川からの風が当たる。 ほんの一瞬だけ、建物が途切れる。 それまで近かったビルや看板が遠ざかり、水面が視界に入る。 都市の真ん中なのに、ここだけ少し呼吸が楽になる。 橋を渡り切ると、また街が戻ってくる。 信号。 交差点。 人の流れ。 天神へ近づくにつれて、歩く人の速度も少し上がったように感じる。 中洲と天神。 地図の上では近い。 でも、走ってみると街の温度差が分かる。 境界線はない。 風景の連続の中で、いつの間にか街が変わっている。

川を越えると        街の顔つきが変わる。

四、

天神、ただいま更新中。

天神に入る。 ここからは、街そのものが動いている。 工事現場のフェンス。 建て替えられている建物。 大きなクレーン。 走りながら、何度も視線が上を向く。 新しいビルは、完成してから見るより、建設途中のほうが面白いのかもしれない。 鉄骨や仮囲いの向こう側に、まだ名前のない風景がある。 工事現場の脇を抜ける。 足元には舗装されたばかりの場所と、少し古びた路面が混ざっている。 街も、人間と同じで、全部が同時に新しくなるわけではない。 古い場所を残しながら、新しい場所が伸びていく。 天神はいま、完成した街ではない。 走りながら、その「途中」を見る。

天神、ただいま更新中。

五、

一本入ると、          天神は急に人間になる。

一本入るだけで、音が小さくなる。 車の音が遠くなり、代わりに店の前の会話や、食器の音が耳に入ってくる。 路地を曲がる。また曲がる。走るというより、街に誘導されている感じがする。 古いビルの壁。 階段。 室外機。 店先の植木。 誰かが置いた自転車。 どれも小さなものなのに、街の印象を決めている。 路地では、足元を見ることも多くなる。 少し段差がある。 舗装の色が変わる。 マンホールを避ける。 そんなことを繰り返しているうちに、街のディテールが見えてくる。

一本入ると、          天神は急に人間になる。

六、

天神、ちょっと東京

大通りに出ると、景色が一気に新しくなる。 高層ビル。大きなガラス面。広くなった歩道。整然としたサイン。 走っていても、以前の天神を知っている人なら「あれ、ここ何だったっけ」と、少し記憶を探したくなる。 街の更新というのは、ずいぶん潔い。 昔の風景を懐かしむ暇もないくらい、新しい景色が次々にやってくる。 ふと、東京を走っているような気分になる。 「リトル東京」という言葉が頭に浮かんだ。 もちろん、東京になったわけではない。 でも、街のスケール感や建物の表情を見ていると、福岡もずいぶん都会になったものだと思う。

天神、ちょっと東京

七、

明治公園に、街の「余白」。

天神の街並みを抜け、明治公園へ向かう。 少しずつ視界が開ける。 建物の密度が変わる。 そして、公園に入る。 さっきまで硬かった街の風景に、緑が入る。 足元の感触も少し変わる。 舗装された都市の道から、公園の中へ。 走る身体も、自然と緩む。 ここでは急ぐ理由がない。 ベンチに座る人。 歩く人。 立ち止まる人。 何もしない人。 都市の中に、こういう場所があるのはいい。 商業施設のように「何かをする」ことを求められない。 ただ通り過ぎてもいいし、少し休んでもいい。 大きく変わっていく天神の中で、明治公園は新しい福岡の「余白」になっていく。

明治公園に、街の「余白」。

八、

路地裏は、         街の記憶を保存する場所。

中洲川端から中洲。 中洲から天神。 そして明治公園。 走ってみると、地図では一本の線だった道が、いくつもの風景に分かれていく。 アーケードの音。 中洲の川風。 橋の上の開放感。 天神の工事現場。 裏路地の静けさ。 そして、公園の緑。 街は、建物だけではできていない。 音、匂い、風、足元の感触。 そこを走った自分の身体の感覚まで含めて、ひとつの街になる。 今日見た風景も、いつか変わるかもしれない。 新しいビルが建ち、店が変わり、路地の形さえ変わる。 だから、今の街を見ておく。

路地裏は、         街の記憶を保存する場所。

編集後記

今回の道を振り返ると、距離よりも断片が残っている。

商店街のアーケード。中洲の静かな看板。橋を渡るときの川風。

天神の工事現場。路地の室外機。信号待ちで見上げたビル。

そして、最後の明治公園。

ランニングの記録なら、距離や時間が残る。
でも、路地裏探訪で残したいのは、そういう数字ではない。

「あの角を曲がったとき、こんな景色だった」その程度の記憶でいい。

街は変わる。 だから、今しか見られないものがある。

次に同じ道を走ったとき、今日と同じ景色があるとは限らない。

それでいい。