音楽は、人生を
何度でも
面白くする。

音楽プロデューサー   末松 孝久

人生は、予定調和ではない。

取材・構成 : SAKU編集部 

音楽プロデューサー   末松 孝久

編集前記

教師一家に生まれ、将来は教師になることを自然に考えていた少年時代。小学校の音楽の授業で見せた姿を先生に見込まれ、「音楽を習わせてみては」と勧められたことから、エレクトーンを始めた。それが、音楽人生の原点だった。大人になり、実際に教職へ。けれど、心の奥にあった音楽への思いは消えず、安定した仕事を辞めてミュージシャンの道へ進む。メジャーデビューの夢、挫折、バンド、東京、そして北九州、佐賀。遠回りのすべてが次の音へ繋がっていった。人生は、まだ終わらない。

次は、どんな音が鳴るのだろう。

第一章 音楽少年のはじまり

先生が見つけた才能。

北九州市、八幡で生まれ、行橋で育った末松さん。音楽との出会いは、意外にも本人の意思からではなく、小学校の音楽の時間になると目を輝かせる少年を見た担任の先生が「この子には音楽を習わせたほうがいい」と父親に勧めた。それがエレクトーンを始めるきっかけになった。エレクトーン、合唱、そして中学ではオリジナル曲までつくった。小柄で、いじめられた経験もある少年にとって、音楽は自分を表現できる場所だった。「音楽しか、生きていく道はないんじゃないか」そんな思いは、少年の胸の中で少しずつ大きくなっていく。

先生が見つけた才能。

第二章 先生か、音楽か

人生最初の分岐点。

音楽の道へ進む一方で、末松さんは教師になる道も歩んでいた。山口の短大で教員免許を取得し、 二十歳で小学校の教壇に立つ。最初から三年生の担任を任され、ほどなくして音楽の専門教員として声が掛かった。 しかし、音楽への情熱は消えなかった。 教え子たちを音楽会へ連れていけば、「普通の曲ではつまらない」と自分で曲をつくり、演奏させる。教師でありながら、頭の中にはいつも音楽があった。そして、バンド活動(末松さんはドラマー)との両立が始まる。 やがてメジャーデビューの話が舞い込み、末松さんは教師を辞める決断をする。 人生最初の分岐点だ。

人生最初の分岐点。

第三章  夢の手前で、

音楽は止まった。

教師を辞め、音楽の世界へ飛び込んだ末松さんが身を置いたバンドJAGGは、当時の福岡県内では知られた存在だった。ライブを重ね、ファンを集め、地元の音楽シーンで名前が通っていたバンド。その先には、メジャーデビューという現実的な道も見えていた。だからこそ、教師という安定した仕事を辞める決断にも、迷いはなかった。音楽で生きていく。そう腹を決めた矢先、メジャーデビューの話が突然なくなる。夢が遠のいたというより、手を伸ばせば届くところまで来ていたものが、一瞬で消えた。二十三歳。音楽人生は、何度も振り出しに戻された。

音楽は止まった。

第四章 夢の先に

そこにあった葛藤。

JAGGでのメジャーデビューが消え、別のバンドでも挫折を経験した末松さん。そんな時、地元福岡で爆発的人気を博していたバンドZ-BACKから声が掛かりドラマーとして加入。やがてヤマハのプロデューサーの目に留まり、メジャーデビューへ。全国ツアーを回り、音楽で生活する。夢が現実になった。しかし、音楽性やメンバーの考え方、お金のこと。夢の先には、これまでとは違う現実が待っていた。「結局、自分は何のために音楽をやっているんだろう」夢を叶えた場所で、末松さんはもう一度、自分と音楽の関係を考え始めた。

そこにあった葛藤。

第五章  東京より、

音楽との距離を探す。

約五年間の活動の末、Z-BACKは解散する。振り返ればそこで得た経験は、その後の人生の「音楽の土台」となって残った。解散後、東京で約一年間を過ごした。デビューをあれほど夢見た東京だったが暮らしてみると、どうも肌に合わない。音楽の仕事を続ける一方で、人の多さや街の喧騒に少しずつ疲れ、音楽の世界で夢を追い、メジャーデビューも経験した。けれど、そこで感じたのは、音楽そのものよりも売れることや仕組みが先にある世界だった。

音楽との距離を探す。

第六章  新しい音楽との出会い

音楽が、街と人を動かす。

北九州に戻った末松さんに、新たな音楽との出会いが訪れる。きっかけは、友人からの「末松、よさこいするぞ」の一言だった楽曲をつくり、踊り手たちが何度も聴き込み、祭りの舞台で一斉に踊る。そこには、バンドとは違う音楽の力があった。「元ロックバンドマンとしては、最高」よさこいを通して、音楽が人をつなぎ、街を動かすことを改めて実感する。音楽との付き合い方は、又、新しい形へ変わっていった。

音楽が、街と人を動かす。

第七章 よさこいは、もうカルチャーだ 

気がつけば二十三年。

末松さんがよさこいの楽曲を手がけるようになって、二十三年。今では日本各地のチームから楽曲制作の依頼を受けている。 よさこいは、ただ踊る祭りではない。音楽があり、衣装があり、振付があり、そこに踊る人、観る人、地域の人たちが加わる。ひとつの表現を、みんなでつくり上げていく。何度も音楽を聴き込み、練習を重ね、舞台で一気に花開く。音楽から始まったものが、人を動かし、地域を巻き込み、文化になっていく。よさこいは、もうひとつのカルチャーなのだ。

気がつけば二十三年。

第八章 それでも、

人がつくる音楽。

現在、末松さんは佐賀の自然の中でバンライフを送り、車両をスタジオにして音楽をつくっている。AIによって音楽制作の環境が大きく変わるなか、人がつくる音楽には何が残るのか。「これでいいや、というレベルならAIでいい」だからこそ、人にしかできない表現が大切になる。ライブの熱、演奏する人の技術、そこに生まれる感情。画面の中だけでは完結しない音楽がある。「クリエイティブな人がいなくなれば、文化が終わっていく気がする」自由に生きながら、音楽をつくり続ける。末松さんの次のテーマは、音楽とその先にある文化をどう残していくかにある。

人がつくる音楽。

編集後記

教師から音楽家へ。東京でメジャーデビューを経験し、挫折し、バンドを離れ、そして今は、佐賀の自然の中でバンライフを送り、車両をスタジオにして音楽をつくっている。車内にあるのは、作曲のためのシンセサイザーとMac。必要なものだけを積み込み、自然の中で過ごしながら、自分のペースで音をつくる。木々の緑や静かな時間、夜の星空。その環境そのものが、今の末松さんの音楽を支えている。何が成功で、何が失敗なのか。それを決めるのは、きっと他人ではない。どこで暮らし、何をつくり、誰に届けるのか。その選択を重ねた先に、その人だけの人生がある。佐賀の自然の中の一台の車。今日も新しい音が生まれている。人は、その人らしく、何度でも編曲すればいい。
末松さんの人生は、そんなことを教えてくれる。


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